大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 昭和29年(ワ)7337号 判決

原告 徳武庄平

被告 徳光孝利

主文

被告は原告に対し金六十二万五千円およびこれに対する昭和二十九年八月二十日から完済まで年六分の金員を支払うべし。

訴訟費用は被告の負担とする。

この判決は金十五万円の担保を供するときは仮に執行することができる。

事実

原告訴訟代理人は、主文第一、二項と同旨の判決および仮執行の宣言を求め、その請求の原因として、「被告は昭和二十八年八月二十六日(一)訴外鳴瀬富三郎にあてて金額二十万円、満期同年十月七日、支払地および振出地ともに東京都中央区、支払場所株式会社富士銀行蠣殼町支店と定める約束手形、(二)原告にあてて金額十七万五千円、満期同年十月十四日、支払地、振出地および支払場所いずれも(一)と同様に定める約束手形、(三)原告にあてて金額二十五万円、満期同年十月十五日、支払地、振出地および支払場所いずれも(一)と同様に定める約束手形各一通を振り出した。前示(一)の約束手形は訴外鳴瀬富三郎から原告に白地裏書された。かくして原告は前記約束手形三通の所持人となつた。原告は前示(一)の約束手形については支払のための呈示をしなかつたが、その余の約束手形についてはそれぞれ満期に支払場所に呈示してこれが支払を求めたところいずれもこれを拒絶された。よつて原告は被告に対し前示約束手形金三口合計金六十二万五千円およびこれに対する訴状送達の翌日である昭和二十九年八月二十日から完済まで法定の年六分の金員の支払を請求する。」と述べ、「被告の主張事実はすべて否認する。」と答えた。〈立証省略〉

被告訴訟代理人は、「原告の請求を棄却する。」との判決を求め、「原告主張事実中被告が原告主張の(一)の約束手形を振り出したことは認めるが、同(二)および(三)の約束手形を振り出したことは否認する。右(一)の約束手形が訴外鳴瀬富三郎から原告に白地裏書されたことならびに原告が右(一)ないし(三)の約束手形を所持することは認める。その余の事実は不知。原告主張の(一)の約束手形は、訴外鳴瀬富三郎がその債権者に対する債務の弁済期の延期を要請するため債権者に提示する必要があるとしてこれが振出を原告に懇請したことに基いて被告において振り出したものであり、原告主張の(二)および(三)の約束手形も右と同時に前示(一)の約束手形と同様の使途に充てたいからといつて訴外鳴瀬富三郎から被告にこれが振出の依頼があつたのであるが、被告はこの分については単に金額および支払場所のみを手形用紙に記入し、これに振出人名義の署名押印をして訴外鳴瀬富三郎に交付したのである。叙上のような次第であつたので、前示(一)の約束手形は他に裏書しないこと、前示手形要件の一部のみを記載して訴外鳴瀬富三郎に交付したものはこれに他の手形要件を補充して手形として転輾せしめないことを右訴外人との間において厳に約束したのである。すなわち前示(一)の約束手形は裏書禁止の特約の下に振り出されたものであり、前示要件の一部記載ある手形用紙の交付は白地手形振出の趣旨においてなされたものではない。ところが訴外鳴瀬富三郎はこの約定に反して前示(一)の約束手形を原告に白地裏書し、かつ、叙上のごとく一部の手形要件のみを記載したまま渡された手形用紙の白地部分を擅に補充し原告主張の(二)および(三)の約束手形として完成の上これを原告に交付したのであるが、原告は当時被告と訴外鳴瀬富三郎との間に前述のような約定があることを知りながら同訴外人から前示(一)の約束手形の裏書ならびに同(二)および(三)の約束手形の交付を受けてこれを取得したのである。従つて被告は、前示(一)の約束手形については原告がいわゆる悪意の手形取得者であることを理由に、前示(二)および(三)の約束手形についてはそれが白地手形として振り出されたものではない不完全なものであることおよび仮に白地手形として振り出されたもので原告がその適法な所持人であるとしても原告は少くともその振出が前記のような事情に基くものである点について悪意の取得者であることを理由に原告の本訴請求には応ずることを得ない。」と述べた。〈立証省略〉

理由

一、原告主張の(一)の約束手形に基く請求について。

この点に関する原告主張の請求原因事実はすべて当事者間に争いがない。

そこで原告が被告の主張するごとく前示(一)の約束手形の悪意の取得者であるかどうかについて考えるに、被告が右約束手形を振り出した事情のいかんはともあれ、少くとも原告が振出人である被告を害することを知つて右約束手形を取得したとの事実は本件にあらわれたすべての証拠によつても認めることはできない。かえつて証人鳴瀬富三郎の証言および原告本人尋問の結果を総合すると、原告は昭和二十八年八月下旬頃訴外鳴瀬富三郎から事業資金の貸付を申し込まれたが、当時同人に対して既に金百四十五円ほどの貸金があつたのでこれを拒絶したところ同人は更に前示(一)の約束手形を持参し、振出人である被告は赤坂の料亭錦水の経営者の子息で信用の置ける人であるから、右手形によつて是非金融の便をはかつてもらいたいと重ねて懇請するところがあつたので原告も遂に他から金借してその金を鳴瀬富三郎に貸し付け、これが弁済確保のため前示(一)の約束手形について同人から白地裏書を受け(右裏書の事実は当事者間に争いがない。)たことが認められる。してみれば当時原告としては専ら前記手形の振出人である被告の支払能力に信頼して鳴瀬富三郎から、これが裏書を受けたものと解するのが相当である。被告は、その本人尋問において、前示手形は鳴瀬富三郎において単に原告に預けて置くだけでその支払の責任は一切同人が負担し、被告に迷惑はかけるようなことはしないと確約したので同人にこれを交付した旨供述しているが仮に右約束手形の振出について事実そのような事情が存したとしても(証人鳴瀬富三郎の証言によれば同人は前示(一)の約束手形を原告に裏書して金融を受ける旨被告に告げてその振出を受けたものであることが認められるのであるが、この点はさて措くとしても)原告の手形取得の経緯が叙上認定のとおりである以上、被告は前示(一)の約束手形の振出人として原告に対しこれが支払の義務を辞するに由ないことは、あえて多言の要をみないところである。

さすれば被告は原告に対し右手形金二十万円およびこれに対する本件訴状送達の翌日であることが記録に徴して明らかである昭和二十九年八月二十日から完済まで商法に定める年六分の遅延損害金(原告が右手形について支払のための呈示をしなかつたことは原告の自陳するところである。)を支払うべきものである。

二、原告主張の(二)および(三)の約束手形に基く請求について。

原告が右約束手形二通を現に所持することは、当事者間に争いがないところ、その振出名義人である被告の氏名が被告の自署にかかり、かつ、その名下の押印も被告においてしたものであることは、被告の自認するところである。被告は、被告が右のごとく署名押印をしたのは、訴外鳴瀬富三郎において当時同人の債権者に対し債務の弁済延期を要請するため被告振出名義の約束手形を債権者に提示する必要があるとしてその振出を懇望しこれを他に流通させるようなことはしないと確約したので、叙上のとおり被告において署名押印した約束手形用紙二通にそれぞれ原告主張の(二)および(三)の約束手形における金額および支払場所のみを記入しその他の記載欄は白紙とし、しかもその補充権を附与することなく、これを訴外鳴瀬富三郎に交付したところ、同人は右約旨に反して右白地部分を擅に補充して原告主張のような約束手形として完成した上これを原告に交付したのであるが、当時原告は被告が前記のような事情経緯に基いて前示約束手形用紙二通に署名押印して鳴瀬富三郎に交付したことを知りながらこれを約束手形として完成したものを同人から取得したものであるとして、原告主張の(二)および(三)の約束手形は元来白地手形として振り出されたものではないこと、仮に白地手形として振り出されたもので原告がその適法な所持人であるとしても、原告は少くともその振出が前記のような事情に基くものである点について悪意でこれを取得したのであるから、被告にこれが支払義務はない旨抗争する。そもそも要件を完備しない約束手形を白地手形とみるべきかあるいは不完全な手形とみるべきかを決するについて何処にその基準を求めるべきであるかということに関しては従来、専ら署名者の意思に重点を置いて署名者において後日他人をして補充せしめる意思をもつて故らに要件を完備しないまま署名したか否かにより両者を区別すべきものとする主観説と署名者の意思の如何にかかわらず一に外観上補充の予期せられた手形と認め得るや否やにより両者を識別する基準とすべきであるとする客観説とあるいは署名者の意思をあるいは手形の外観を基準とすべきものとする以上両説の折衷説との三説が唱えられているのであるが、手形の外観のみに準拠すべきものとする見解に従うものとすれば、前示(二)および(三)の約束手形は、被告の主張するとおり金額および支払場所のみを記載して被告が振出名義人として署名押印したものであつたとしても(被告が署名した当時如何なる手形要件が欠缺していたかについては当事者間に争いがあるが、この点はしばらく措くとして)被告により白地手形として振り出されたものと解すべきは論のないところであるばかりでなく、署名者の意思を基準とする説によるべきものとしても、敍上のごとく認める結論には何等の消長をも生ずるものではない。すなわち、およそ約束手形の振出名義人として手形用紙に署名した者は反証のない限り、手形債務負担の意思をもつてこれをしたものというべく、この理は手形要件を完備しないままで署名がなされた場合においてもその適用を二、三にするものではない。しかもこの場合には署名者において欠缺せる手形要件を補充する権限を当該手形の取得者に附与する意思を有していたものと推定するのが相当である。これを本件についてみるに、被告はその本人尋問において、前示(二)および(三)の約束手形はいずれも訴外鳴瀬富三郎がその債権者である原告に証文代りに預けて置くだけで、その支払については右訴外人自らが一切の責に任じ被告にはその責任を及ぼさないことを確約して被告にその発行を懇請したことに基いて被告において受取人欄を空白にして振出名義人として署名押印した上右訴外人にこれを交付したものであつて、受取人欄の空白を補充してこれを手形として流通に置くようなことはしない旨の特約がその際なされた旨供述しているが、証人鳴瀬富三郎の証言に照らしてにわかに措信し難く(受取人欄のみを空白にして署名押印の上訴外鳴瀬富三郎に交付したとの供述部分を除く。この点については後述する。)他に被告の前記手形用紙への署名が白地手形振出の意思をもつてなされたものでないことを認めて敍上の推定を覆すに足りる証拠はない。のみならず証人鳴瀬富三郎の証言および原告本人尋問の結果を総合すれば、前示(二)および(三)の約束手形はいずれも最初被告において受取人の記載のみを空白にして署名押印の上訴外鳴瀬富三郎に交付した(この点については被告本人尋問の結果中にも同趣旨の供述が存し、この供述は措信するに足りる。)ものを、右訴外人において右空白部分を補充の上原告に交付したものであること、訴外鳴瀬富三郎がこれを右のごとき未完成のまま被告から入手するに至つたのは、原告主張の(一)の約束手形の振出を受けたと同時であつて、右未完成のものについても同訴外人はこれを原告に譲渡しこれにより原告から金融を受ける目的に利用すべく、前示(一)の約束手形以外の二通についての受取人は原告の意向を確めた上で決定する必要があるから白地のままにして置いてもらいたい旨要望し、被告においてもその希望どおりに受取人欄の記載をしないでこれを発行したのであるが、その後鳴瀬富三郎において原告から金融を受けるに当り原告の指示に基きその受取人を原告にすることとなりその氏名を補充して原告に交付し、かくして原告から金融を得たこと、原告が右二通の約束手形を取得したのは前示(二)のものは前記(一)の約束手形と同時であり、前示(三)のものはその一両日後であつたが、既述のとおり原告としては当時鳴瀬富三郎に対する金融を一旦は拒絶したけれども同人において被告振出名義の前示約束手形を持参しその支払の確実である所以を説明し重ねて懇請するところがあつたので、原告も断り切れないで専ら被告の手形支払に期待して鳴瀬富三郎に金融を与えその支払確保のため前示(一)の約束手形のほかに前示(二)および(三)の約束手形をも取得するに至つたものであることが認められる。してみれば前示(二)および(三)の約束手形はいずれも当初被告において受取人欄を白地のままに残しその補充権を附与して白地手形として振り出したものと解すべく、従つて鳴瀬富三郎がこれを原告に譲渡するに際し受取人として原告の氏名を補充したことは正当な補充権の行使に基くもので、かつ、原告はこれ等約束手形の振り出された経緯事情については何等関知するところがなかつたものというべきである。さすれば、原告主張の(二)および(三)の約束手形が元来不完全な手形であつて白地手形として振り出されたものではないとする被告の主張も、仮に白地手形として振り出されたものであるとしても原告はこれが悪意の取得者であるとする被告の主張もすべて理由がないものと断じなければならない。

原告が前示(二)および(三)の約束手形をいずれも満期に支払場所に呈示して支払を求めたところこれを拒絶されたことは甲第二、三号証の表面貼付の各附箋(この成立は当事者間に争いがない。)によつてこれを認めることができる。

さすれば被告は原告に対し右手形金二口合計金四十二万五千円および右各口の金額に対する満期の後である昭和二十九年八月二十日(本件訴状送達の翌日)から完済まで手形法に定める年六分の利息を支払うべきものである。

よつて原告の本訴請求は全部正当であるのでこれを認容すべきものとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条を、仮執行の宣言につき同法第百九十六条第一項を適用し、主文のとおり判決する。

(裁判官 桑原正憲)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例